平治元(1159)年に平治の乱で平清盛に敗れた源義朝らは、東国へ落ち延びる途中、次男朝長(源頼朝の兄)は、矢傷を受け岐阜県大垣市青墓で自害した。従者の大谷忠太は、朝長の首を自らの故郷袋井市三川へ密かに持ち帰えったと伝えられる。