「国会園」を開き養蚕を普及させた人

1868年(明治1年)~1937年(昭和12年)

戸倉惣兵衛は、小笠郡粟本村(現:掛川市)榛葉作平の次男として生まれました。5才で磐田郡笠西村愛野(現:袋井市愛野)の戸倉吉十郎の養子となり、家督相続します。その後、久努村の刮目舎や掛川の冀北学舎に学び、東京府共立学舎に進学しました。明治19(1886)年、戸倉家が東海道本線の鉄道工事を請負って赤字を抱えたため、急遽、惣兵衛は郷里に戻ることとなりました。明治23年(1890)、菩提山に4ヘクタールの土地を借地して開墾し、桑の木を植え蚕種製造を始めました。絹は新たな日本の基幹産業となるもので先見性がありました。この年は第1回帝国議会が開かれたため、この施設を「国会園」と名付けました。明治25年(1892)、新たに養蚕伝習所も開き、育蚕法の研究を進めました。伝習所では毎年20人前後の伝習生を募集して、養蚕技術の普及を図りました。明治40(1907)年、手狭になった菩提山から国鉄袋井駅(現:JR東海道線袋井駅)前に移り、住宅兼事務所と蚕室を作りました。また、経済的な育蚕法を全国に広め、育蚕農家の労働軽減と絹の品質向上に努力したため、県下一の養蚕家として静岡新報社から表彰を受けました。しかし、太平洋戦争の勃発によって事業が続けられなくなり、昭和18(1943)年、その幕を閉じました。