軽便鉄道の父

1858年(安政5年)~1934年(昭和9年)

庫太郎は、安政5年(1858)5月13日、山名郡御厨村新貝(磐田市新貝)に生まれる。明治7年、城東郡笠原村岡崎(袋井市岡崎)の芝田家の養子となる。明治21年、笠原村の初代村長となり4期在任する。岡崎銀行頭取、中遠鐵道株式会社社長、日本赤十字社特別会員、郡会議員等の重職を歴任する。

庫太郎はたいへん腰の低い人で、軽便が開通しても初めは乗る人も少なく、乗客の一人一人に頭を低くして「ありがとうございます」とお礼を言ってまわった。また、毎年、夏になると横須賀海岸へ社員とその家族を軽便で海水浴に連れて行き、自分は衣類や下足の番をしていた。日常生活では、腰にナタをぶら下げ、山や道端の木に藤ヅルがからまっていると切って歩いたり、各戸にみかんや柿の苗木を植えるように奨励して村の産業の振興に努めた。

昭和9年(1934)1月13日死去。享年77歳。葬儀は同年1月15日、午後1時より笠原小学校にて村葬儀として行われ、多くの人が参列した。

【参考・引用文献】
 袋井市教育委員会 2001『なつかしの駿遠線』