掛川市北部の発展に尽くした

1860年(万延1年)~1915年(大正4年)

小澤周平は、現在の袋井市三川にあった庄屋・寺田新右衛門家の四男として万延元年(1860)に生まれました。20歳で本郷地区(現在の掛川市本郷)の庄屋小澤八太夫の娘多計と結婚して庄屋の後を継ぎました。人柄がよく、教養も高かったので本郷地区の人たちからも信頼され、明治17年(1884)、23歳で細谷村、本郷村、幡鎌村、西山村、吉岡村、高田村、富部村7か村の戸長(現在の町村長)を命じられました。明治26年(1893)には、新しくできた原谷村の村長に選ばれ、村づくり、農業の発展にたいへん努力しました。明治32年(1899)には小笠郡会議員に当選し、掛川北部の発展に尽くしました。このころ合併で新しくなった町や村は、学校を造ることが大きな課題でした。当時の村の役員は、どこに学校を建てるのか、学校を造る費用はどうするのかなど夜遅くまで話し合いました。この時周平は、「これから私は東京へ行って事業を始めるので、小澤八太夫の屋敷を学校として使ってほしい。」と申し出ました。村人たちはたいへん喜び、屋敷跡を学校にすることにしました。屋敷跡は11,550㎡(3,500坪)もありましたので、一部を売って学校の敷地の整地費用にあてました。教室は八太夫の家を借りて使うことにしました。こうして原谷村尋常高等小学校(現在の掛川市立原谷小学校)ができたのです。また、地域の人々もみんなで学校の運営を支援して教育の向上に努めました。大正4年(1915)4月22日没す。享年55歳。

【参考・引用文献】
 掛川市原谷地域生涯学習センター2011『はらや -原谷郷土誌-』
 寺田廉 1976『工藤祐経の生涯と吾が祖先の探求』主婦と生活社

【協力】
 掛川市原谷地域生涯学習センター佐藤収一 小澤利行 山崎智行(敬称略)