芝学校を開校し、多くの人材を育てる

1812年(文化9年)~1885年(明治18年)

円明寺の南、浅羽防災センターの公園内に、高さ80cm程の石碑『高橋先生之碑』がある。碑文は漢文で約400字。東平は、文化9年(1812)高部村(袋井市高尾)に生まれ、10歳で掛川藩士尾崎門造の塾に入門した。その後、江戸に出て幕府の学問所昌平講に入校した。「・博く和漢の学を修め・」(碑文)天保2年(1831)帰郷、20歳であった。まもなく渡辺能登守の代官となって、高部村、堀越村、小野田村等7ケ村を統括した。秀でた才能と高潔な人柄に信頼も厚く、26年間、安政4年(1857)46歳まで代官を勤めた。そして3年、全国各地を廻り各界名士と交わり、国内外の情勢を見聞して帰郷、時に49歳、柴村に住居を定めて私塾を開いた。「教フルニ恩愛」、「戒ムルニ威厳」「来り学ブ者百数ヲ以テス」、望まれても「名邑大都ニ赴カズ」ひたすら「郷学ノ師」として専念、おも「郷人ヲ顧フコト切ナルモノ」(碑文)であった。こうして私塾で教えること約15年。明治6年(1873)5月20日、円明寺を仮校舎として柴学校開校、村人たちに懇望されて教員になった。時に62歳、翌年1月病気となり3月に退職、7月10日死去、63歳。高橋塾の門下から戸塚弥三治・溝口喜七・久野勇馬ら多くの人材を輩出している。明治18年(1885)、先生を敬慕する門人たち相集い碑を建立。撰文は可睡斎47世西有穆山である。

(原文 柴田静夫)

【参考・引用文献】
 浅羽町 2000『浅羽町史 通史編』
 浅羽町郷土資料館 2000『浅羽を拓いた人々 明治・大正・昭和編』

【協力】
 高橋良男 秋月幸男 円明寺 満願寺(敬称略)