遠隔地の震災情報
嘉永7年(1854)6月
やさしい解説
伊賀上野地震は、嘉永7年(1854)6月に発生しました。13日に前震、15日に本震が起きたと言います。
「伊賀上野地震」と呼ばれていますが、被害は広い範囲で記録されています。ただ、袋井では被害の記事がまだ見つかっていないので、袋井ではあまり被害が出なかったのかもしれません。
伊賀上野地震は、嘉永7年(1854)6月に発生しました。
「伊賀上野地震」と呼ばれていますが、被害は日本の広い範囲で記録されています。
しかし、袋井市域では、被害の記録がまだ見つかっていないので、袋井ではあまり被害が出なかったのかもしれません。
ところが、明治にできた、見取村の『噺伝記』という地誌には、この伊賀上野地震についての記事が載っています。
[史料原文]
嘉永七寅年年号改
一、安政元甲寅ノ六月十四日、大地震四ヶ市宿震潰レ、又ハ焼失いたし候故、人命を失ひ、旅人も多ク死ス。余リ稀成ル儀故、印置申候。是ハ夜ル九ツ頃ノ事也。
この下に「尾州津島辺 大破/勢州桑名四ヶ市大潰レ/伊賀ノ上野辺 大潰レ」と書き込みがあります。
伊賀上野や四日市は、伊賀上野地震での被害が大きかった地域です。
読んでみると、見取村には伊賀上野地震の被害は無さそうなのですが、なぜかこの記事が『噺伝記』に収録されています。
「余リ稀成ル儀故、印置申候」(あまりに珍しいことなので、記しておきました)とあるように、珍しいことだったので記録しておいた、ということのようです。
江戸時代には、さまざまな情報が海道を行き来していました。
特に相場や災害の情報は、かなり早く正確なものがやりとりされていましたが、こうした情報が、遠隔地の災害に対する応援につながるには、明治を待たなければなりませんでした。
【参考文献】
①中西一郎・西山昭仁「嘉永七年(1854)伊賀上野地震に関する史料――京都府最南部の南山城村・加茂村――」(『地震』第二輯第五九巻、2006年)。