台湾で活躍した水利技師

1883年(明治16年)~1946年(昭和21年)

袋井市 市勢要覧:「郷土の偉人」より抜粋

鳥居信平は、1883年(明治 16 年) 1月6日、静岡県周智郡山梨村(袋井市上山梨)に生まれました。
水利技師として、台湾で地下ダムを建設し、現地の人々からたいへん感謝されています。

信平は少年時代を袋井で過ごし金沢の四高に進学、明治 41 年に東京帝大(現在の東大)農科大学に入学しました。卒業後は農商務省農務局、徳島県技師などを経て、台湾製糖株式会社に転職しました。台湾に渡った信平は、すぐに総合的な調査を行い屏東県の林辺渓に地下ダムを作ることを決めます。地下ダムとは、日本のように川の表流水をせき止めるダムとは違い、地下水の流れをせき止める構造で、現地の人々の大切な狩り場や漁場に配慮し、生態系や自然を壊すことのないように設計しました。

工事は、大正 10 年5月から始まり、長さ 328 mのダムを埋設した。ダムに集められた伏流水は、導水路を通して送られ、支線から小支線を通って扇形の屏東平原に行き渡るように工夫し、大正 12 年に 2,500㌶に及ぶ農場が完成し、この土地の開拓事業は地域住民の生活向上に大きく貢献しました。

当時、伏流水をこのように大規模利用した灌漑施設は例がなく、極めてざん新な試みだったため、昭和 11 年、農業土木の関係者として、初めて日本農学賞を受賞しました。1946年(昭和 21 年)2月 15 日、脳溢血のため死去。享年 63 歳。台湾南部では、今も 20 万人を越える人々がこの地下ダムの恩恵を受けて暮らしています。

【参考・引用文献】
平野久美子 2009『水の奇跡を呼んだ男』