釜石製鉄所・初代所長

1855年(安政2年)~1921年(大正10年)

横山久太郎は、日本近代製鉄発祥の地で釜石製鉄所の所長として鉄都・釜石の発展に尽くした人です。安政2年(1855)10月10日に磐田郡久努村大字村松(袋井市村松)で生まれた。13歳の時、奉公に出ましたが主人が商売熱心でなく、退職金を懐に京浜地方へ仕事探しに出掛けての道中、東京の「鉄屋」田中長兵衛と出会い、二人とも鉄に関係した商売柄、話が弾み、意気投合した。久太郎はみるみる頭角を現し、3年後には横須賀支店支配人となり長兵衛の娘と結婚した。明治13年、釜石では官営製鉄所が完成したが、わずか97日間で失敗した。長兵衛と久太郎は、官営製鉄所の復興を決意し、数々の苦難の末、見事成功した。明治20年、釜石鉱山田中製鉄所が創立されると、初代所長に久太郎が任命された。釜石の銑鉄生産は明治27年には全国生産の65%を占めるようになった。明治29年の「明治三陸地震」では、釜石にも大津波が押し寄せ多くの家屋が損壊し製鉄所も被害に遭ったが、久太郎は工場を開放して救援活動に当たった。大正8年春、何度も慰留されましたが所長を退き、東京にて療養のため釜石を離れた。大正10年(1921)3月3日死去、享年67歳。現在でも久太郎の功績は語り継がれており、東日本大震災の時「横山久太郎」の縁で袋井市は釜石市を支援してる。

【参考・引用文献】
 日本製鉄株式会社社史編集委員会 1959『日本製鐵株式会社史』
 菊池 弘 2003『風雪に舞う-釜石地方人物伝-』
 菊池伝助 1978『横山久太郎翁傳 附釜石史談・其他』