鹿児島茶の発展につくした茶業技師

1906年(明治39年)~1984年(昭和59年)

 

明治39年(1906)6月25日、静岡県磐田郡久努村(袋井市)に生まれる。大正13年、中泉農校(現磐田農校)を卒業、茶業組合中央会議所の委託見習生として牧之原の農林省茶業試験場に学ぶ。大正15年、農林省茶業試験場練習生終了後、奈良農業試験場茶業分場に奉職。昭和2年、兵役で豊橋18連隊に入隊、済南事件のため出征。昭和4年、満期除隊して農林省茶業試験場に迎えられる。昭和5年4月、鹿児島県農業試験場茶業部に奉職。昭和12年、日中戦争が始まり召集される。昭和14年6月召集解除。第2次世界大戦中の昭和19年に再召集され、岐阜県各務原飛行場大隊等に配属、やがて終戦を迎える。

昭和21年4月、鹿児島農業試験場の知覧茶業分場長、同30年、鹿児島県農政課の技術補佐兼茶業係長、同33年、同県の農業改良専門技術員(工芸作物)を歴任、翌34年、定年退職して静岡に帰る。昭和34年7月には静岡県茶生産農協連合会の指導部長となり、同37年4月同連参事、退職するまで各方面で活躍した。鹿児島では、紅茶の品種改良に挑んだ
「鹿児島茶の功労者」である。その後、後輩たちが鹿児島紅茶を完成させ、昭和55年、新品種農林登録50周年記念功労者として表彰される。鹿児島県は、昭和初期にはお茶作りの後進県であったが、温暖な気候と技師たちの努力により、現在、荒茶生産量では静岡県に次いで全国2位(平成21年度)である。昭和59年(1984)に死去。享年78歳。

【参考・引用文献】南日本新聞社1981『鹿児島大百科事典』田中省三編2006

『遠江国山名郡北原川村名主足立五郎佐衛門の記録文書』

【協力】鹿児島県農業開発総合センター茶業部静岡県農林技術研究所茶業研究センター足立幹雄・宮子(敬称略)鹿児島県地覧町での調査