日中戦争の戦死者に観音像を揮毫して贈る

1890年(明治23年)~1982年(昭和57年)

明治22年(1889)9月11日、上浅羽村浅名に生まれる。本名は榑松良平。幼少のころから絵が得意で、20歳の時、沖之須(掛川市)の森下青谷のところへ入門する。明治45年(1912)、23歳の時、画家になろうと決心して文展や日展の審査員なども務めた小室翠雲(東京)の門人となる。22歳頃から3年間、春夏秋冬の21日間ずつ、小笠神社へ深夜の参拝を続ける。大正8年ころから、掛川、大阪、清水などに移り住み各地で禅修業を重ねつつ画業に精進する。心身修業のため小笠山への深夜詣でなども行い画道精進を続け、浅羽で唯一人の地方画家として活躍しました。昭和8年(1933)銃後の国民として彩管報国の志を立て、戦死者の遺族へ観世音尊像の揮毫をして贈りはじめる。昭和9年(1934)、竜巣院(五十岡)へ「為榑松家先祖代々菩提」として竜の大額二面を寄進する。この作品に「玉峰道人」の落款がある。昭和19年(1944)、清水の住居は東南海地震の災害により、さらに空襲を受けて焼失する。昭和21年(1946)、郷里の浅名へ帰り住む。家族の住む静岡と浅名を行ったり来たりする生活を続ける。昭和28年(1953)「知行画会」を催し作品を頒布する。昭和54年(1979)1月、静岡市谷田へ移り家族とともに住む。昭和57年(1982)1月15日死去。享年92歳。

【参考・引用文献】
 磐田郡浅羽町 2000 『浅羽町史 通史編』
 袋井市古美術を観る会 2010 『袋井の画人二人展』
 中道朔爾 1986 『遠州画人伝』
 浅羽町文化協会 1982 『郷土画家 榑松玉峰展』

【協力】
 榑松のぶ子 竜巣院(敬称略)

【リサーチ】
 榑松忠 榑松政雄(敬称略)