作家・元筑摩書房社長

1913年(大正2年)~1997年(平成9年)

 作家。元筑摩書房社長。小説『ロツダム号の船長』で第22回芥川賞の候補となる。ちなみに、この年の受賞は井上靖の『闘牛』であった。

静雄は大正2年(1913)11月25日、静岡市に父桑原好治、母せいの三男として生まれる。名前は静岡にちなんで命名される。父が警察官であったため、転勤のたびに転居する。大正12年(1923)、11歳の時に父の退職に伴い、本籍地、静岡県磐田郡西浅羽村長溝(現在の袋井市長溝)へ帰る。よって、西浅羽尋常高等小学校に転校する。大正15年4月静岡県立見付中学校入学。昭和7年、20歳の時に第三高等学校文科甲類に入学する。「自由寮」に入り野間宏、冨士正晴と出会う。このことが静雄の一生を決めることとなる。10月1日、3人で季刊同人誌『三人』創刊号を70部を発行する。昭和11年(1936)4月、京都帝国大学文学部哲学科入学。夏休みの80日間、毎日10時間、『正法眼蔵』を読む。昭和15年(1940)3月に卒業。卒業論文は「墨子」。同人雑誌『三人』は、この8年間に第20号まで刊行され、同人は計10名になっていた。同年4月より河出書房に入社。書下し長編小説の担当となる。吉川幸次郎、田中美知太郎、太宰治を担当し、川端康成、中村光夫氏とも親しくなる。昭和16年29歳の時に竹之内滋美と結婚。改姓。2月11日に河出書房退社。3月1日より筑摩書房に入社する。昭和19年(1944)戦争激化、出版困難となる。6月に静雄にも召集令状が届き、広島県の呉海兵団に入団する。戦後、筑摩書房に戻り出版事業に携わる。昭和24年(1949)小説『ロツダム号の船長』にて第22回芥川賞の候補となる。昭和41年(1966)筑摩書房初代社長古田晃氏が会長となり静雄が社長となる。在職六年間は全集を次々と出版する。昭和47年(1962)60歳で退職し読書生活に入る。平成9年(1997)12月19日没。享年84歳。

【参考・引用文献】
 竹之内静雄 1995『先知先哲』講談社
 筑摩書房 1970『筑摩書房の三十年』

【協力】
 桑原啓治 桑原英一 桑原義孝(敬称略)