『浅羽風土記』を著した郷土史家

1889年(明治22年)~1962年(昭和37年)

『浅羽風土記』の著者として知られる郷土史家。明治22年(1889)7月21日松原生まれ、明治44年静岡県師範学校本科を卒業、笠西小学校(袋井西小学校)に奉職、ついで大正11年(1922)4月に見付第二尋常高等小学校(現在の磐田北小学校)、そして大正12年4月東浅羽尋常高等小学校校長になった。34歳であった。大正12年2月袋井商業高校ができると、13年8月に理科教員に要請された。それから14年後の昭和13年(1938)に48歳で退職した。昭和12年(1937)『郷土雑筆白羽草』を出版した。限定150部で非売品。知友や同好者に頒布した。いまや貴重な郷土研究書である。退職後は郷土史研究ひとすじの日々であったと思われるが、それは太平洋戦争の激化と戦後の混乱・耐乏生活の中であった。昭和25年『磐田市誌』の編纂がはじまるとさっそく執筆委員を委嘱された。上下2巻、1400頁に及ぶ大作の刊行を終えたのは6年後の昭和31年であった。昭和32年(1957)、68歳の時に著名な郷土誌『浅羽風土記』が出版された。また、昭和35年には『遠江資料集』を上梓した。まさに、浅羽地域の郷土史研究の先駆者であった。これ以外にも、地元の郷土史の研究会でも指導的立場に推され、各機関誌へもたびたび投稿しており、今わかるものだけでも30余篇にのぼっている。昭和37年(1962)4月1日病没、73歳であった。

(原文 柴田静夫)

【参考・引用文献】
 磐田郡浅羽町 2000『浅羽町史 通史編』
 柴田静夫 2006『浅羽の今昔』

【協力】
 原田誠(敬称略)

【リサーチ】
 原田学 竜巣院(敬称略)