横須賀-掛塚往還に灯りを灯した人
明治30年(1897)6月、横須賀掛塚往還(延長3里34丁道巾12尺)が出来ました。しかし、豊浜から松原に至る広い田んぼの中を通るこの道路は、夜ともなると灯り一つ見えないまっ暗闇の心細い道路でした。西ヶ崎で傘屋をしていた竹田又吉は、豊浜と松原の中間にあたる西ヶ崎に灯明台の建設をしようと浅羽五ケ村の人々に呼びかけました。やがて、往還の北側で明之宮神社の西側のたんぼの中に土を高く盛り上げて高台を造り、その上に4本の木の柱を組んで4メートルの高さのところに石油ランプを取り付けました。この灯りをつけたり消したりすることは、西ヶ崎の人でやりました。これで暗い夜道も人々は安心して通行できるようになって村人たちは感謝しました。この灯明台は明治36年(1903)に完成し、記念して協力者の氏名を刻み、郷土の文人で政治家の足立孫六(号湛水)に記念の句をいただくとともに揮毫を得てこの石碑をつくりました。明治の中頃まで曲がりくねった細い道ばかりでした。車もなく、ただ人が歩き、荷物は天秤棒で担ぐか、背中に背負うよりほかになかったのです。今のような電気はなく夜道はまっ暗でした。西ヶ崎灯明台は、背の高さくらいの杭に六角のガラスの中に小さな火がついて、歩く人の目印になっていました。松原の方からも、豊浜の方からも、あれが西ヶ崎だと遠くから見えていたのです。灯明台は、その後、大風で飛ばされて10年くらいしか続かなかったそうですが、又吉をしのぶ石碑は今も明之宮神社の境内に建っています。
【参考・引用文献】
磐田郡浅羽町 1999『浅羽町史 民俗編』
浅羽町教育委員会 1985『のびゆく浅羽』
【リサーチ】
安間友一 竹田良平 竜巣院 安間良雄 (敬称略)