光を求めて大日トンネルを掘った人
1827年(文政10年)~1907年(明治40年)
西尾只吉は、宇刈村の大日(現:袋井市宇刈)に生まれました。西尾家は大日で庄屋を務めていた農家でした。通称を竜吉と呼ばれ、性来剛直で竹を割った様な人だったと伝えられています。この頃、宇刈村は北東西を丘陵に囲まれ、交通が大変不便な村で、物資の流通はすべて人の背や馬に載せ丘陵を越えていました。明治10(1877)年頃、他の村では農業の合理化のために荷車が使われていましたが、宇刈村では荷車が隣村へ通ることができる道路はなく、新道建設の機運が高まりました。明治12(1879)年頃に西尾八十七を発起人に村営事業として飯田村(現森町飯田)へのトンネル掘削を決定しました。庄屋である只吉の指揮の下、総工費236円47銭のうち、宇刈村が196円を出資し、残りは寄付金でまかないました。工事を始めるに当たって、トンネルの西側出入口にあたる飯田村東組の人たちは新道建設に反対していましたが、只吉が2年をかけて説得しました。工事が始まると、飯田村の人々も積極的に協力してくれたそうです。
【参考】
白兎会 2003『だいにち』