袋井初のオリンピック水泳選手
1900年(明治33年)~1983年(昭和58年)
明治33年(1900)11月28日今井村太田地区の生まれ。昭和の日本代表の水泳選手。大正13年(1924)のパリオリンピックに出場し、男子400m自由形リレーにて4位入賞を果たした。日本水泳界初、袋井市初のオリンピック入賞者。ほかに、極東大会(現アジア大会)にも3回連続出場。3種目に優勝するなど日本水泳界の花形選手として活躍した。 一雄は、病気がちの身体の弱い子どもでしたが、夏休みは掛之上の親戚の家に出掛けて原野谷川崖下というところに遊びに行きました。ここの水は青く淀み、淵の主に足を引き込まれそうな気味の悪いところでしたが、頭から川に突っ込まれるスパルタ練習でメキメキ水泳の腕を上げました。一雄が本格的に練習をはじめたのは、浜松中学校に入学し、水泳部に入ってからです。当時の練習法はただひたすら泳ぐことで、四肢をいっぱいに伸ばして水をつかむ、それ以外スピードを出す方法はまだなかった。連日の猛練習の中から水に乗るコツ(クロール泳法)を覚えたという。袋井市農協の役員等をつとめ、若者の水泳指導にもあたった。昭和58年(1983)2月21日、82歳で死去。
【参考・引用文献】
安間恭一 1988「袋井市出身で、はじめてのオリンピック選手」
『ふるさと袋井 第5集』袋井市地方史研究会
【協力】
杉山祐三 杉山潤子 長島知義(敬称略)