袋井市文化協会初代会長

1914年(大正3年)~1983年(昭和58年)

 澤野達寿郎は、大正3年(1914)5月19日に袋井市川井、現在の澤野医院記念館の地に生まれる。父は茂登米、母はみよで10人兄弟妹の二男である。幼稚園も小学校も塀を挟んで隣りにあり、通園・通学というよりも隣の家に遊びに行くようなものであった。大正15年(1926)、兄・茂樹の入学していた県立見付中学校(当時)に入学する。中学4年の秋、慈恵医科大2年の兄が18歳で亡くなった。父母からは一言も言われなかったが医師になる決心をして日本医科大学に入学した。昭和15年(1940)6月2日、召集され豊橋の連隊に入隊。8月4日に広島から輸送船に乗って中国の漢口に上陸、陸軍軍医大尉として大陸各地を転戦した。昭和21年2月に復員し、5月に澤野医院を開業する。昭和33年から袋井市医師会会長、昭和44年から磐周医師会会長を務める。

 昭和31年(1956)、同好の十数人が集まって「袋井レコード鑑賞会」を作り、その会長に就任した。この会は、中学校の音楽の先生が解説を行い、農業、商業、工員、学生、医師等のあらゆる人たちが、月1回、蓄音機で音楽を楽しむ場てあった。SPやLPレコードを使用して、映画館の空き時間や中学校の講堂を会場とした。昭和41年(1966)、この袋井レコード鑑賞会がきっかけとなって袋井市文化協会が発足し、達寿郎は初代会長に推された。昭和58年(1983)2月9日に死去。享年68歳。

【参考・引用文献】澤野達寿郎1976『回想の六十年』

【協力】澤野医院記念館世話人会